アマチュア無線とオーディオのページ

プロローグ
中学2年の頃からラジオに興味をもつようになってから、ナショナルや東芝の古いST管式の5球スーパーなどを分解しては、部品を溜め込み、雑誌「初歩のラジオ」に掲載されている製作記事を見ながらラジオを作ったりしました。いまから思うと、その記事の内容は決して「初歩」ではなかったと思います。結構難しかった。いまでも難しいけど・・・。
最初はなんでもよかったのです音さえ出れば・・・・。そのうちに自分だけのラジオ・・・世界に一台だけのラジオを作ろうなどという大それた考えをもつようになっていたのですが、田舎では部品の入手もままならず、結局壊れた真空管式のテレビやラジオを分解しては部品を集め、いつか何かに使おうと思案しながら、分解の日々でありました。
それでも、ラジオ(受信機)を卒業して、アマチュア無線(その当時は「ハム」といった)の送信機に興味を持ちはじめた頃に、その部品たちは再び活躍しはじめたのです。
そうです。高校1年の時にアマチュア無線の免許を取得したのを機に送信機を作ろうと思い立ったのがはじまりです。分解したテレビの部品をかき集め、トランス、真空管、抵抗、コンデンサ、コイル・・・・などなど使えるものは何でも使いました。シャーシーもテレビのものを使用。そして、テレビの水平出力管を送信管に流用した3.5MHz 10WのAM送信機が完成したのです。その甲斐あって、高校3年の夏には何とか開局までこぎつけ、JA6WVYというコールサインをもらい、ローカル局とラグっていました。しかし、結果は惨憺たるものになりました。調整機器がないので、適当に作ったので、10KHz離れた周波数まで側波帯が広がり、他局に混信を与え大迷惑をかけてしまっていたのです。そのうちにAM部(変調部)が壊れA1の送信しかできなくなりました。これではローカル局とのラグチューどころではありません。もはや、この送信機もこれで終わりということになりました。

本論
大学生になり、多少自分のこづかいの自由がきくようになったので、50MHz AMトランシーバーを購入しました。
井上電機のAM-3Dです。その当時トリオのTR-1200などが人気でしたが、私は井上電機のVFO内臓ハンディータイプのAM-3Dを購入しました。これが気に入ったのは50MHz帯すべての周波数帯で運用することができたからです。受信周波数とVFO発信周波数をあわせるにはツマミをCAL(Calibrataion)にまわし、VFOのツマミでゼロビートを取ります。当時50MHzでの運用が流行り始めていたSSBの復調もこのCAL機能を使えば受信することができました。それで実際にSSB局との交信もしました。しかし、周波数安定度が悪く、交信局から何度も「Fズレ」(周波数ズレ)を指摘されました。
長い夏休みには、AM−3Dを実家に持ち帰り、3エレ八木アンテナで、国内Eスポを楽しんでいました。なにせ山の中の田舎なので、通常地表波で聞こえてくる局は3−4局だけですが、いざEスポとなると、それはそれは次から次へとコールされて、とてもうれしかった記憶があります。このときばかりは6コールでよかったと思う一瞬でした。

アパート住まいで1W出力、しかも、アンテナは室内のダイポールでは電波は飛んで行きません。聞こえてくるのは毎回同じ局ばかり。3.5MHzのときのようなワクワク感もないので、そのうちにアマチュア無線への興味はだんだんと薄れてきて、オーディオのほうに興味をもつようになってきました。

その当時は、トリオ、パイオニア、サンスイ、ラックスの新興勢力から大メーカーのヤマハ、テクニクス、ビクターなど群雄割拠していました。時はトランジスタ式のアンプが華やかにデビューしていましたが、私の興味はもっぱら真空管式のものでした。その中でもラックスのSQ-38FDはあこがれの機種でした。(今でもオークションで高値で取引されています)出力管はNECのマグノーバル3極管50C−A10これをプッシュプルで使用し、最大30Wの出力を得ています。この50C−A10はいままでの真空管技術を結集して開発された最後の真空管と言っても過言ではないと思います。世の中がなんでもかんでもトランジスタ(固体素子)に移行しつつあった時代に、生まれた真空管だったからです。
高校生時代に初歩のラジオに掲載されていた6BM8(3極管と5極管の複合管)を4本使ってプッシュプル動作させたメインアンプを製作していたので、取り敢えずそれをメインアンプとして使用していたのですが、それに飽き足らなくなり、新たなメインアンプが欲しくなりました。
そこで、
親元から離れ自炊生活だったのをいいことに、こづかいを貯め、ラックスのキットKMQ-60を購入しました。このアンプは前出のSQ-38FDのメイン部をキットにしたものです。ステレオでプッシュプル構成なので4本並んだ威容はなんとも迫力がありました。

メイン部はできたのですが、プリ部はどうするかが問題です。その当時、誠文堂新光社から刊行されていた、真空管アンプ集の上杉先生の記事を参考にマッキントッシュタイプのプリアンプを製作しました。構成は、低雑音管の12AX7Aを3本使ったものです。12AX7Aは双3極管なので、とても使いやすい真空管でした。雑音などの恐れから電源は別構成として、シャーシー丸出しで作ったので、見た目は悪いのですが、なかなかいい音を出していました。当時はレコードの再生がメインでしたので、イコライザー曲線(RIAAカーブ)の補正回路(CR型やNF型がありました)の製作に苦労していました。今の時代は音のソースはCDなどのようにストレートアンプでいいので、アンプの設計は比較的し易くなっているのではないかと思います。

私が真空管にネツをあげていたころ、その当時トランジスタアンプでは最高と言われた、ヤマハのCA-1000が発売されていました。私の小遣いではとても買えない値段でした。CA-1000はその後バージョンアップしCA-1000U、CA-1000Vとなりました。

真空管アンプに対抗して固体素子を使用したアンプをソリッドステートアンプと呼んでいました。その中で、バイポーラトランジスタは、ベース電流でコレクタ、エミッタ間の電流を制御する電流制御だから、無入力時にも電流が流れ雑音が発生する・・・とのことで、現れたのが、電界効果トランジスタ(FET)です。FETはゲートに電圧を掛けることにより、ソース、ドレイン間の電流を制御し増幅するという原理のものでした。普通のFETは横型FETといい、電力制御には放熱で不利です。そこで、構造を変えて電流を縦に流すことにより、放熱がよくなったのと、もうひとつ、I-V特性が3極管特性を示すことも有利というように言われていました。(横型FETやバーポーラトランジスタは5極管特性)この縦型FET(V−FET)を用いたアンプがヤマハから製品化されました。B−1という名前で発売されていましたが、値段はなんと、20万円くらいしていました。その当時としてはとても手が出ませんでした。

私の興味はもっぱらアンプにあったわけで、スピーカーや、レコードプレーヤー、などについてはなぜか興味があまり湧かなかったのです。理由は、買ってきた部品を適当に組み合わせれば。それなりの成果が出るから・・・なのでしょうか。
オーディオがよく解っている人に言わせれば、音の入り口と出口にお金を掛ければ、それなりの音は出る。アンプにお金をかける必要はない。などと言う意見もあります。それもそうなのですが、アンプにはなぜか「自分の組んだ回路で音が出ているんだ!」という、”自力で作ったシステム”という感じがありませんか? 当時はそんなところにアンプ製作の魅力を感じていたのでした。




ラックスキットA3032

卒業して働くようになって、貧弱だったプリアンプを補充しました。真空管式なのに薄型の、ラックスキットA3032です。
当時、流行りの顔をしていて、私を充分に満足させてくれました。中はごらんのように真空管がきれいに7本配置されています。

プリアンプ、メインアンプがそろったので、いよいよスピーカーの充実を図ろうと思いましたが、残念ながら狭いアパート住まいではなかなか大きな音量では聞くことができません。それで、泣く泣くスピーカーのグレードアップはあきらめました。その当時はヤマハのナチュラルサウンドシリーズのNS−470という2Wayシステム(25cmウーハ)で我慢していました。このNSシリーズはNS−690が最高峰の機種でした。NS−690もU、VとVersionアップが図られました。その後、NS−1000Mが発売されました。今でもNS−1000Mは人気の機種です。エッジのへたりもありません。
ということで、いまだにスピーカーのグレードアップはなされていません。あこがれのNS−690や1000Mがほしいのですが・・。

就職した会社が機械加工の会社だったので、シャーシー加工などは休日にやっていました。ボール盤、旋盤、シャーリング・・・などシャーシー加工なら何でもできる環境にあることをいいことに、一大決心の末、UV−211シングルステレオアンプの製作をはじめました。しかし、部品が何と高価なことでしょう。特にトランス類はとても高価でした。UV−211と言えば元は送信管ですから、プレート電圧は1000Vも必要です。それを整流する真空管が手に入らなかったので、仕方なくシリコンダイオードでやることにしました。幸い取引先のダイオード製造会社の方と知り合いになり、1000Vの整流をするに十分な耐圧を持ったダイオードを4本(ブリッジ整流)無償で頂きました。しかし、ダイオードはこのままつなげばUV−211はカソードが直熱型なので、Power On後に数秒経過してから電圧を掛けなければなりません。タイマーリレーで遅延回路を組んで解決です。あとは、電解コンデンサの耐圧ですが、いくら高耐圧の電解コンデンサでもMaxは500Vです。そこで、100μFx2のブロックコンデンサを2本シリーズに繋いで(計4個のコンデンサ)耐圧1000V 100μFを作りました。バランスが崩れると特定のコンデンサに電圧負荷がかかり、パンクすることがあるとのことですが、問題ありませんでした。

しかしながら、このUV−211の計画は、仕事が忙しくなったのと家庭を持ったことなどにより、20年以上の歳月を経た末に、とうとう完成を向かえることはありませんでした。外された部品たちはちりぢりバラバラになってオークションに出されてしまいました。残念です。

これで、私のオーディオの歴史は閉じてしまいました。でも、またいつかアンプやラジオを真空管で組み立てたいものです。


 

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